ついにこの日がやってきた。
最後にふさわしく(?)、外は冷たい涙雨。
しっとりと終わりを告げるには申し分ないかもしれない。
今日でオレのイクジキュウカが終わる。
感無量な気分だ。
思えば1年前の4月。仕事始め。
玄関先で仕事に行く妻を見送った後、とてつもなく長い時間の始まりかあ!と感慨にふけったことを思い出す。
それが振り返れば、あっという間だったように思う。
何でも始まりがあれば終わりがあり、たくさんの思い出とともに去っていくのだ。
今まで、男が育休をとることに関して、何かしら思ったことをとりとめもなく書いてきた。
だが、やっている間に、男だの女だの、そんなことはど~でもよくなってしまった。
我が子を育てる。
ただそれだけのことに、男も女もない。
よく「勇気あるわね~。」「すごいわね~。」なんて言われたこともあったが、勇気なんてなくたって育児はできるし、男がやったからといってすごいことができるわけでもない。
ただそれなりにオレが育休をとれる条件が、周囲に幸いにもそろっていただけのことだ。
男が育児するにあたって必要なもの。
たぶんそれはいろいろある。
健康な体であればやりやすいだろうし、力だってあるに越したことはない。
知識や学があればそれはそれで役立つだろう。
便利な道具があれば有効に使うことができるだろう。
下世話な話、幾ばくかの金銭的余裕があれば言うことはない。
でも、それらが無かった、もしくは足りなかったとしても
「コイツ(子ども)のためなら何でもやっちゃる!」
という強い思い(人はこれを「愛」と呼ぶ)さえあれば、たいていのことはどうにかなる。
子どものためなら見栄やプライド、名誉、そんなくだらないものをかなぐり捨てる「覚悟」があれば十分。
別に難しいことじゃない。
世のほとんどのママさん達は、ごくごく自然にやっていることなのだから。
ぶっちゃけ育児はオレにとってめちゃくちゃ楽しいものであった。
しかし、育児は楽しいことばかりではなかった。矛盾するようだけど。
悩んだり困ったり腹が立ったりすることのほうがむしろ多かったかもしれない。
でもそれは人間なんだから当然の感情。
それを育児する中で経験し、爆発したりガマンしたり忘れたり反省したり同じ事をまた繰り返したりしながら、親は親として少しずつ少しずつ成長していくのだと思う。
そしてその横で子どもが成長していく。
その「親としての成長、子どもの成長」の過程がオレにとって非常に楽しかった、ということだ。
その幾多の困難が楽しかった。
もし、何にも困らない、何にも手がかからない、そんな育児だったら、きっと面白くもなんともなかったに違いない。
どんな大層な計画も理屈も理論もセオリーも、泣く子の前には無力。
眠くて泣いている我が子。
眠いなら寝ればいいのに~。何度そう思ったことだろう。
しかし、そんな理屈は全く通用しない。
必死にあやして揺すって汗まみれになって寝かしつけ、失敗してまたやり直して。
その繰り返しの毎日の中で、我が子に最適な方法を見つけるしかない。
今日は良くても明日はダメだったり・・・。
どんなに効く薬や最先端の治療法があったとしても、病気の我が子に添い寝して、握る手のぬくもりが、結局最後は子どもに安心感を与えることができたりする。
育児は理屈じゃないんだな、と思った。
そして、泣き声一つで周りのすべてをひれ伏させる赤ちゃん。
笑顔一つでまわりのすべてを明るくする赤ちゃん。
人間の原点にはとてつもないパワーがあることを知った。
別にオレは育児を男がやろうが女がやろうが、どっちでもいいと思っている。
男性の育休取得率がこの先増えることなど、悪いがオレ個人としては別に期待しちゃいない。
「男も育児をしましょう、育休をとりましょう!」
なんて啓蒙するつもりも毛頭ない。おこがましいにもほどがある。余計なお世話だ。
我が子を育てるのに、男も女もないのだ。
各家庭が各家庭のやり方で、「幸せ」に子どもを育てていければ、どんな形だろうがいいじゃないか。
ただ、この1年育児をしてきて、男だからってさほどに困ることはなかった。
(さすがにチチは飲ませられなかった・・・これに関しては女性に分があることは否めない。)
もうそれだけ社会の環境は整いつつあるし、それだけの意識になってきつつある。
あとは前述の通り、各個人の「覚悟」があればどうにかなるだろう。
(極論、育児のために仕事を捨てることだって(やらないけれど)、できないわけじゃなし。)
文字通り「やればわかるよ。」
それがオレの育児のススメ。
なんだか偉そうにいろいろ書いてしまった。
何年も育児をしている人や、何人もお子さんを育てている人から見れば
「まだまだアマイわね」
となるだろう。まことにその通り。
たった1年、息子一人育てたぐらいで、育児を語れるわけがないのだ。
オレはこれからも息子と暮らしていく。育てていく。
これから先のほうがずっとずっと長い。
これから先が本当の始まりなんだと思う。
いつか、何年後か、このブログを読み返し
「こいつ、アマちゃんだねえ~。」
と自らを笑うことが、オレの今後の目標でもある。
このブログはこれで最終回。
明日からは「平日勤務をする男」になる(笑)。
もしかしたら、コウノトリやら橋の下(?)やら、なんだかんだと新たな命を授かり、
またオレがイクジキュウカをとることになって、
<帰ってきた育児休暇をとる男>
なんておバカブログを始める日がくるかも?しれない。
どうぞその時は
「またやってるよ・・・しつこいなあ・・・」
などと、画面に不平不満をぶちまけつつも、どうか温かい目で見守ってやっていただきたい。
オレが育児休暇をとるにあたって様々な協力をしていただいた方々、近所のママさん、保育園のお友達や先生、親兄弟、親族、関係諸団体、ブログ閲覧者の皆様、とにかく関わったいろんな人々・・・
そして何より妻と息子。
そういった人達全部に感謝。
今までありがとうございました。
名残は尽きませんが、さようなら。またいつかどこかで!
育休最後の「焼肉ランチ」に行く直前のパソコンの前より
平成20年3月31日(月)
育児休暇をとる男 YASU
最後にふさわしく(?)、外は冷たい涙雨。
しっとりと終わりを告げるには申し分ないかもしれない。
今日でオレのイクジキュウカが終わる。
感無量な気分だ。
思えば1年前の4月。仕事始め。
玄関先で仕事に行く妻を見送った後、とてつもなく長い時間の始まりかあ!と感慨にふけったことを思い出す。
それが振り返れば、あっという間だったように思う。
何でも始まりがあれば終わりがあり、たくさんの思い出とともに去っていくのだ。
今まで、男が育休をとることに関して、何かしら思ったことをとりとめもなく書いてきた。
だが、やっている間に、男だの女だの、そんなことはど~でもよくなってしまった。
我が子を育てる。
ただそれだけのことに、男も女もない。
よく「勇気あるわね~。」「すごいわね~。」なんて言われたこともあったが、勇気なんてなくたって育児はできるし、男がやったからといってすごいことができるわけでもない。
ただそれなりにオレが育休をとれる条件が、周囲に幸いにもそろっていただけのことだ。
男が育児するにあたって必要なもの。
たぶんそれはいろいろある。
健康な体であればやりやすいだろうし、力だってあるに越したことはない。
知識や学があればそれはそれで役立つだろう。
便利な道具があれば有効に使うことができるだろう。
下世話な話、幾ばくかの金銭的余裕があれば言うことはない。
でも、それらが無かった、もしくは足りなかったとしても
「コイツ(子ども)のためなら何でもやっちゃる!」
という強い思い(人はこれを「愛」と呼ぶ)さえあれば、たいていのことはどうにかなる。
子どものためなら見栄やプライド、名誉、そんなくだらないものをかなぐり捨てる「覚悟」があれば十分。
別に難しいことじゃない。
世のほとんどのママさん達は、ごくごく自然にやっていることなのだから。
ぶっちゃけ育児はオレにとってめちゃくちゃ楽しいものであった。
しかし、育児は楽しいことばかりではなかった。矛盾するようだけど。
悩んだり困ったり腹が立ったりすることのほうがむしろ多かったかもしれない。
でもそれは人間なんだから当然の感情。
それを育児する中で経験し、爆発したりガマンしたり忘れたり反省したり同じ事をまた繰り返したりしながら、親は親として少しずつ少しずつ成長していくのだと思う。
そしてその横で子どもが成長していく。
その「親としての成長、子どもの成長」の過程がオレにとって非常に楽しかった、ということだ。
その幾多の困難が楽しかった。
もし、何にも困らない、何にも手がかからない、そんな育児だったら、きっと面白くもなんともなかったに違いない。
どんな大層な計画も理屈も理論もセオリーも、泣く子の前には無力。
眠くて泣いている我が子。
眠いなら寝ればいいのに~。何度そう思ったことだろう。
しかし、そんな理屈は全く通用しない。
必死にあやして揺すって汗まみれになって寝かしつけ、失敗してまたやり直して。
その繰り返しの毎日の中で、我が子に最適な方法を見つけるしかない。
今日は良くても明日はダメだったり・・・。
どんなに効く薬や最先端の治療法があったとしても、病気の我が子に添い寝して、握る手のぬくもりが、結局最後は子どもに安心感を与えることができたりする。
育児は理屈じゃないんだな、と思った。
そして、泣き声一つで周りのすべてをひれ伏させる赤ちゃん。
笑顔一つでまわりのすべてを明るくする赤ちゃん。
人間の原点にはとてつもないパワーがあることを知った。
別にオレは育児を男がやろうが女がやろうが、どっちでもいいと思っている。
男性の育休取得率がこの先増えることなど、悪いがオレ個人としては別に期待しちゃいない。
「男も育児をしましょう、育休をとりましょう!」
なんて啓蒙するつもりも毛頭ない。おこがましいにもほどがある。余計なお世話だ。
我が子を育てるのに、男も女もないのだ。
各家庭が各家庭のやり方で、「幸せ」に子どもを育てていければ、どんな形だろうがいいじゃないか。
ただ、この1年育児をしてきて、男だからってさほどに困ることはなかった。
(さすがにチチは飲ませられなかった・・・これに関しては女性に分があることは否めない。)
もうそれだけ社会の環境は整いつつあるし、それだけの意識になってきつつある。
あとは前述の通り、各個人の「覚悟」があればどうにかなるだろう。
(極論、育児のために仕事を捨てることだって(やらないけれど)、できないわけじゃなし。)
文字通り「やればわかるよ。」
それがオレの育児のススメ。
なんだか偉そうにいろいろ書いてしまった。
何年も育児をしている人や、何人もお子さんを育てている人から見れば
「まだまだアマイわね」
となるだろう。まことにその通り。
たった1年、息子一人育てたぐらいで、育児を語れるわけがないのだ。
オレはこれからも息子と暮らしていく。育てていく。
これから先のほうがずっとずっと長い。
これから先が本当の始まりなんだと思う。
いつか、何年後か、このブログを読み返し
「こいつ、アマちゃんだねえ~。」
と自らを笑うことが、オレの今後の目標でもある。
このブログはこれで最終回。
明日からは「平日勤務をする男」になる(笑)。
もしかしたら、コウノトリやら橋の下(?)やら、なんだかんだと新たな命を授かり、
またオレがイクジキュウカをとることになって、
<帰ってきた育児休暇をとる男>
なんておバカブログを始める日がくるかも?しれない。
どうぞその時は
「またやってるよ・・・しつこいなあ・・・」
などと、画面に不平不満をぶちまけつつも、どうか温かい目で見守ってやっていただきたい。
オレが育児休暇をとるにあたって様々な協力をしていただいた方々、近所のママさん、保育園のお友達や先生、親兄弟、親族、関係諸団体、ブログ閲覧者の皆様、とにかく関わったいろんな人々・・・
そして何より妻と息子。
そういった人達全部に感謝。
今までありがとうございました。
名残は尽きませんが、さようなら。またいつかどこかで!
育休最後の「焼肉ランチ」に行く直前のパソコンの前より
平成20年3月31日(月)
育児休暇をとる男 YASU